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谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
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神奈川県横浜市神奈川区三枚町はかつて三枚橋村という名の村であった。
丘陵部に位置し、南を保土ケ谷区峰沢、西を神奈川区羽沢町、東を同区片倉に接し、北は岸根町、鳥山町などと複雑な境界をなす町域を持っている。
かつての村域のほとんどがそのまま町域となっているが、ごく一部は他地域に編入されたりもしているようだ。
地名の特徴は特にあるわけではないが、字禰宜屋敷、字牛道根など独特のものも見てとれる。
後者は「ごぞね」と読むが、古い資料では「ごどうね」と読んでいたことが分かり、隣接の片倉の地は「五駄野」ということから、そもそも同じ音地名、すなわち「五段野」を元にして転訛した地名ではないかと思われる。

以下は本稿執筆に際して参考にさせて頂いた資料である。謝意を添えて。
「角川地名大辞典」「新編武蔵国風土記稿」「仮製三千分一地形図第二十二号羽沢」「三千分一地形図第二十一号六角橋」「仮製三千分一地形図第十五号岸根」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は特にない



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神奈川県横浜市神奈川区片倉は同区三枚町、神大寺町の間に位置する細長い町域を持った地区である。
現在同地区は住居表示実施済みのため、ここで扱う地名はすでに通称以外では用いられていない。
町域は丘陵部に位置しており、現在は開発も進んでいるが、南方の一部が片倉自然公園として残されているほか、三枚町境の尾根など一部に昔の面影がある。
町域は細長く、かつては大部分が山と谷戸であり、これを示す地名も散見される。
尚、三枚町境の地に「五駄野」という地名が有り、隣接三枚町の字は「牛道根(ごぞね)」である。これらはそもそも同じ音、すなわち「五段野」であり、それぞれに転訛した結果別の文字をあてるに至ったようである。
また、これらの地名の内、旧字名にあたるものの多くがバス停名として残されたことは、非常に有意義なことで有り、これからもこの名前を残して、後世に伝えていって欲しいと切に願うばかりだ。

以下は本稿執筆に際して参考にした資料である。謝意を添えて。
「角川地名大辞典」「新編武蔵国風土記稿」「google map」「今昔マップon the web」「三千分一地形図第二十一号六角橋」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」

比定不能地名は特にないが、比定の精度が低いため、誤りなどの情報を頂ければ幸いである。



神奈川県横浜市港北区高田町、同高田西、同高田東は元々一つの村であり、高田村と言った。
早渕川を南にした丘陵部に位置し、更に北は神奈川県川崎市久末となる。
丘陵部と川沿いの低地からなる村域の内、低地部は少なく、大部分は丘陵部になり、かつ丘陵上の台地であり、現代になってから耕地整理が行われ、平坦な農地として使用されている。
風景は農地の広がるのどかなものだが、この際にそもそもの地名を改変し、字名を大きく方角に準じたものにした様だ。
これが現在の高田町の町域に残る字西原、字東原であり、その後これ以外の地域を分割し、高田西、高田東として住居表示行って今に至る。
明治時代の地租改正、昭和期の耕地整理などで地名は変遷をしており、時代によって大きく変化があるが、今回は江戸期の地名も含めて、手元に資料のある限りの地名比定を行ってみたが、これらは当然時代を古くすると同時に精度も下がることを付け加えておきたい。

以下は本稿執筆にあたって参考にさせて頂いた資料の出典である。各著者には深く謝意を申し添えたい。
「港北百話」「港北区史」「角川地名大辞典」「新編武蔵国風土記稿」「港北歴史地名ガイドマップ」「三千分一地形図82-1野川(昭38)」「三千分一地形図82-4新吉田(昭38)」「仮製三千分一地形図第一号日吉台」「今昔マップ on the web」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」

比定不能地名は特にない



神奈川県横浜市神奈川区羽沢町は今もって閑静な農村風景を伝える貴重な地である。
これは町域に農業専用地区がもうけられたことによって、宅地開発が入らなかったことが大きいと思われる。
横浜の原風景とは里山と谷戸の風景であるという意見もあり、こうした風景を残した場所が未来に伝えられることを切に願う。
現在町域には目立ったものはないが、横浜羽沢駅という貨物駅が非常に大きな面積を占めているのが印象的だ。
地名に目を移すと、変わったものが散見される。「具行」「聖天」などがそれであるが、前者は人名由来、後者は不明ながら僧侶の名由来かも知れないという。
町域は北、中央、南とそれぞれ大きな谷戸が3筋有り、北を羽沢、綿打谷戸と言い、中央を具行谷戸、青蓮寺谷戸と言い、南を長谷、古く犬吠田谷戸と言うようだ。
南の谷戸は谷筋に道が通り、その面影は薄いが、その他は現在でも谷筋がしっかりと残っている。
時代と共に言い方も変わってきているようだが、その名も個性的でなかなかに面白い。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を用いたので、感謝を添えて。
「角川地名大辞典」「新編武蔵国風土記稿」「仮製三千分一第二十二号羽沢」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップ on the web」「wikipedia」

比定不能地名は特にない



神奈川県横浜市港北区岸根町はその一部を新横浜に分割したが、ほぼ旧岸根村の村域をそのまま受け継いでいる。
しかし地形については、元々西側の川沿い耕地意外は深い丘陵地になっていたものを、近年の開発で大きく変えたため、岸根公園付近の地形は今とは全く違う様相をしていたようである。
また、岸根町の町名も古くは「岸ノ根村」としていたようだ。岸、根ともに地形から来る地名であり、確かにそれを物語る様な複雑な地形を持った村であったようだ。
丘陵部の谷戸名には「釜谷」などがあり、これも釜のような地形から来るものと思われるが、産鉄と結びつけることも出来るかも知れない。
また、西の鳥山川流域、現在の新横浜周辺に見られる地名は砂田、島どぶ、深どぶなどのドブ田であったことを物語るものや、古い地名には「闢下」というものもあり、これは崖崩れを意味するか、そそり立つ壁のような崖の下を意味するものと思われる。
こう言ったものは、最近では危険地名として注目されているものに辺り、都市開発の中に消えていった古の教訓が隠されているのかも知れない。

以下は地名の拾いあげ、比定に用いた資料である。深く感謝を申し上げたい。
「港北歴史地名ガイドマップ」「港北区史」「新編武蔵国風土記稿」「角川地名大辞典」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は特にないが、新編武蔵国風土記稿にある地名の比定は、かなり推量の域を出ないもので有り、正確さに欠けることにご注意頂きたい。



神奈川県横浜市港北区の新横浜周辺の地域についての地名を纏めてみました。この項では旧篠原村村域について書いていますが、この地域は新横浜を初め多くの地域に分割され、一部をのぞき住居表示が実施されています。
現在の新横浜周辺は開発著しく、その近代的な街の造形は一つの都市シンボルとも言えるものとなっているが、かつてこの周辺は一面が湿地帯が広がる場所であったようだ。
このことは当地の旧村名篠原村の地名に良く現れており、蛇袋という特徴的な地名がその代表と言えるだろう。
これは川の蛇行と関係する地名と思われ、蛇はその格好を言ったもの、あるいは水神としての龍を意味するものとも考えられるが、他の見方をすると、産鉄神としての蛇、吹く炉の転訛としての袋と考えることも出来るのかも知れない。
いずれにしても現在からは想像も付かない地名であったのが面白い。
また丘陵部にあたる、現篠原町、篠原各地域にあたる部分は谷戸名を多く伝えている。
この中でも坊海道(ぼうがやと)は非常にユニークである。これは地形から来ると思われる「棒ヶ谷」の転訛、もしくは寺に因む「坊ヶ谷」の音と街道が交わって生まれたものと考えられる。このことは新編武蔵国風土記稿にも書かれており、言い伝えの由来は俄には信じがたいとして、その由来を載せている。
また会下谷の地名も仏教に関係する地名であると思われることから、寺の力の強い場所だったのかも知れない。

以下は地名の比定に用いた資料の出典である。各著者には心より感謝を申し上げたい。
「港北歴史地名ガイドマップ」「新編武蔵国風土記稿」「角川地名大辞典」「港北区史」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は以下
・谷田
・新田
・堀ノ内



神奈川県横浜市港北区鳥山町は小机町から続く丘陵の東に位置し、丘陵端の場所でもある。
北に鶴見川、東に鳥山川が流れる地である。
鳥山の名の起こりは様々な説があるが、一説にはドブ田の中に島のようにある場所という意味から、嶋の文字をバラして山と鳥にし、これを逆さまにして鳥山としたのだとも言う。
こう言うような文字をバラしたり、音を逆さまにしたりする場所には、それなりの原因があることが多く、その裏に隠された歴史があるのかも知れない。
地名は多くが地形に由来するものだが、佐々木高綱という領主に綱無伝説と関連づけられたものが多く、一部には地形地名と伝説のこじつけと思われるものも存在するのはなかなかユニークである。

地名の拾いあげと比定は以下の資料を参考にしたので、感謝と共に。
「港北歴史地名ガイドマップ」角川地名大辞典」「港北区史」「新編武蔵国風土記稿」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は特にない



神奈川県横浜市港北区小机町は小机城址のあった場所としても知られている。一時近隣の村を併せて大きな小机村となった時期があるが、この項では現在の町域、つまり元々の小机村の地名について書くことにする。
小机町の特徴は北部鶴見川沿いの耕地と南部の丘陵地帯に分かれることであろう。
このため北部には田に由来する地名、南部には谷戸名が見られる。
また鶴見川沿いの地域は氾濫も多く、又南の谷戸からの集水域でも合ったことから、田と言っても底無しのドブ田であった様で、池土腐等の地名が印象的である。
また近隣にも見られるが道慶の付く地名が当地にも有り、これはかつての領主に由来する地名のようである。

以下は地名の拾いあげと比定に用いた資料である。感謝を添えて。
「港北歴史地名ガイドマップ」「角川地名大辞典」「新編武蔵国風土記稿」「港北区史」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップon the web」

比定不能地名は以下

・寺屋敷



神奈川県横浜市緑区東本郷はかつては本郷村と言って、隣接小机村の本郷であったと言う。その後新治村の大字になり、横浜市編入の際に同名の地区があるため、東本郷と名を変え、住居表示が実施されている。
実はこの地は住居表示以前の字名もかなり大雑把なもので、それぞれ東西南北を冠した耕地というもの4つからなっていた。
しかし地形に目を向けると、多くの谷戸が見受けられ、これらの地名に纏められる以前は多くの地名があったものと考えられる。
そこで少し調査を深めてみたところ、新編武蔵国風土記稿にかつての小名が記録されており、これらの名は今も古老の間では用いられていると言うことが分かった。
一部、不確かなところもあるが、これらの比定にも挑んでみた。
また地元では各集落部を言う呼び方があるそうで、これらも大雑把にその位置を加えてみた。

以下は地名の拾いあげと比定に用いた資料である。深く感謝を添えて。
「新治村地番反別地目入地図」「新編武蔵国風土記稿」「角川地名大辞典」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「今昔マップon the web」「東本郷地区社会福祉評議会ホームページ」

比定不能地名は特にない




より大きな地図で 東本郷(横浜市)の地名 を表示
神奈川県横浜市神奈川区菅田町は、その村域を広く山と谷が占める丘陵地の村であった。
その名残は地名にも見てとれて、多くの谷戸名が現在も字名として残っている。
基本的には地租改正後の字名の比定だが、一部それ以外の地名の比定にも挑戦してみた。
菅田の地名はスゲの多い地の意味からという説もあるようだが、当地の隣の上菅田町とは、名が共通しているものの、歴史的につながりは深くないようだ。

以下は地名の拾いあげと比定の資料である。深く感謝を添えて。
「横浜市神奈川区菅田町地番反別入図」「角川地名大辞典」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は特にない




より大きな地図で 菅田町(横浜市)の地名 を表示
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