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谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
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名称:沼沢
住所:東京都多摩市5丁目付近
所属:多摩丘陵、狼谷支谷か?
河川:関戸川
水系:多摩川水系、乞田川支流
鎮守:熊野神社

自然度:2/5 景観:2/5 危険度:0/5
宅地化:4/5 荒地:1/5 農地:2/5
水田:無し 耕地:有り 公園化:無し

消失危険度:1/5

 ここは正確に谷戸であるかどうかは意見が分かれる部分もあるかも知れない。
かつては大きな湿地で湿性植物の生い茂る場所であったそうで、耕地となったのは
もっと後の時代だと思われる。
 谷戸は丘陵部の小さな谷間の平坦地で、湧水やそこからの自然河川、水路によって
耕地や水田に水を供給するシステムを採っているため、必ず川や水路の痕跡があるのだが、
ここは川があったこと、谷間の平坦地であることから地形的には谷戸で間違いないだろうが、
下流部には関所や関所番の跡が有り、広い耕地があったとは考えにくい。
 しかし現在は生産緑地地区となって関戸の数少ない風景を作り出しており、
ここではこの場所も一つの谷戸地として紹介することにする。
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 旧鎌倉街道を進み、関戸村の鎮守熊野神社に至る少し前、
桜ヶ丘の宅地へ昇る道が現れる。
この道こそ関戸川を暗渠化して流路を道に転用した部分である。
道の途中には古刹の観音寺があり、古戦場で無くなった人々の
供養を今も行っているというし、 横溝八郎の墓もあり、
当地の歴史と非常に密接であることが伺える。


 その観音寺を過ぎると、左手に突如大きな耕地が開けている。ここが沼沢だ。
一般の立ち入りは難しいが、耕地はここから熊野神社の裏手に向けて斜めに広がっている。
近隣の方の話しよると「今では少なくなった風景をみんなで一生懸命守っている」のだそうで、
大変なご苦労の上で、辛くも存在する原風景だと言うことがひしひし伝わってくる。
 
 アクセスには京王バスのバス停「関戸」が最も近い。
と言うよりもバス停のすぐ横が入り口なのである。聖蹟桜ヶ丘方面から歩いてきても良いし、
東寺方や桜ヶ丘の史跡を廻りながらここに至るのも良いだろう。

 ちなみにこの関戸川は今は大半が暗渠だが、この沼沢付近と桜ヶ丘の山に端を発し、
道の南側を流れ下り、旧鎌倉街道を潜った跡、団地の脇を抜けて行く。
この団地の脇には暗渠化される前の流路がくねった空き地として残っており、
見つけるのは容易である。
 その後鎌倉街道手前で中古車販売店の裏側を開渠になって流れ、
民家の庭先で鎌倉街道と直角に向きを変えると、また暗渠となって鎌倉街道を潜り、
反対側にわずかな流路の痕跡をみながら、乞田川に落ちる。
 当地の名前を川の名前にもつ関戸川も、いまや存在を知るものも少なく、
寂しい限りである。

この辺りの昔の地形図は以下のリンク
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=16&lat=35.64093&lon=139.44739&layers=B0F0FTTTTF

この辺りの現在の地図は以下

大きな地図で見る
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P1010504_1.jpg
 
名称:佐伯谷戸、佐伯ヶ谷戸、佐伯屋敷
住所:東京都多摩市5丁目付近
所属:多摩丘陵、佐伯谷戸本谷
河川:佐伯谷戸川
水系:多摩川水系、乞田川支流
鎮守:熊野神社

自然度:1/5 景観:1/5 危険度:0/5
宅地化:5/5 荒地:1/5 農地:0/5
水田:無し 耕地:ほぼ無し 公園化:ごく一部

消失危険度:5/5

 この谷戸は現在ほぼ宅地となり谷戸としては消滅しているが、地形的な面影と、
多くの史跡が残り、多摩市の史跡巡りのスポットとして新たな側面を見せている。

P1010495_1.jpg 場所は旧鎌倉街道沿いから西側に入ったところで、
入り口の目印はなんといっても多摩市が誇る全国屈指の酒販店
「小山商店」である。
この小山商店の道を挟んだ反対側に、山へ入る細い道が存在しているが、
これがこの谷戸の入り口の名残だと思われる。
 周囲は新旧混交の宅地が立ち並んでおり、旧街道沿いの情緒と
ニュータウンの雰囲気を混ぜ合わせた独特の景観を形作る。


 佐伯谷戸とはしかし変わった名前である。
実はこの関戸村は鎌倉街道の要衝であっただけでなく、古戦場後としても有名だ。
実際にここで戦闘が行われたのは鎌倉時代の「関戸の戦い」であり、
この付近には古戦場跡の碑や、この地で討ち死にしたと伝えられる、
横溝八郎、安保入道の墓などがあり、歴史好きの人々の興味をくすぐるが、
名前の由来となったのはそれよりも後年で、この地の治めるために赴任していた
後北条氏の家臣、佐伯道永が居城があったことに由来すると言う。
 大変な崇敬を集めていた役人だったようで、道永亡き後、一部の民はその遺志を、
姓を名乗る形で受け継ぎ、多摩市の佐伯姓の源流になったとも言われている。
この辺りの歴史背景は以下を参照されると良いだろう。

「関戸の戦い」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

「小田原の役」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F#.E5.B0.8F.E7.94.B0.E5.8E.9F.E3.81.AE.E5.BD.B9

 さて話しを谷戸に戻すと、この谷戸へのアクセスは、京王バスの関戸バス停か大栗橋バス停を利用し、
小山商店を目指すことから始めると良いだろう。
あるいは、多摩センター方面や聖蹟桜ヶ丘方面から史跡を眺めながら至るのもまた良い。
 細長く急な坂道を登って行くと、途中に霞ヶ関公園がある。辺りは一面宅地だが、
開発の際に山を完全には切らなかったため、この道沿いが谷地になってるのがよく分かる。
公園の裏には古道の跡と思われる砂利の狭隘路があったり、
メインルートの左右からは、沢山の水路が大きな水音を立てて暗渠に流れ込むのが分かる。
昔から水の豊富な場所であったようだ。
 暗渠となった川は、旧鎌倉街道を下り、大栗橋公園下をながれ、鎌倉街道を潜って、
みゆき橋公園内を進んで乞田川へ落ちていると思われる。

 現在では、山の面影は民家の裏山だけとなり、残った山も最近新たな宅地開発で
ほぼ消失してしまって、今後景観が良くなる要素は残っていないが、
史跡と、お寺が多い場所としての静けさだけは保って欲しい。

この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=16&lat=35.64235&lon=139.45024&layers=B0F0FTTTTF

この辺りの現在の地図は以下

大きな地図で見る
b5d3333e.jpg
 
名称:徳が谷
住所:東京都多摩市貝取1749、多摩市桜ヶ丘二丁目、多摩市乞田1207付近
所属:多摩丘陵、大貝戸対岸
河川:不明
水系:多摩川水系、乞田川支流
鎮守:庚申神社

自然度:2/5 景観:2/5 危険度:1/5
宅地化:4/5 荒地:0/5 農地:1/5
水田:無し 耕地:有り 公園化:無し

消失危険度:4/5

 狼谷戸の隣にある谷は徳が谷と呼ばれており、その由来は定かではないが、
もしかすると、人の名前に由来しているのかも知れない。
今となっては、大半が宅地化されて面影を偲ぶものを探すのは一苦労だが、
良く見ると地形がしっかり残っているのが分かるし、一部は生産緑地地区となって、
少ないながら耕作地に面影を偲ぶことが出来る。

7c003ddf.jpg 入り口は京王バスのバス停「乞田五差路」の裏手に
ひっそりと隠れるように存在している。
道路の反対側には病院があり、旧鎌倉街道と
愛宕への道、ニュータウン通りから野猿街道へのバイパスと
まさに交通の要衝と化していて、その裏手に静かな耕地があるとは
ちょっと想像しにくいかも知れない。


 その耕地から山の宅地への道は今でも急峻であり、この地がはっきりと谷戸地であったことを
今に伝えているようである。
急峻な隘路を上っていくと、崖線に沿うように宅地が広がっている。
この辺りは、乞田、桜ヶ丘の狭間に貝取の飛び地が入り込み住所は複雑だが、
山の宅地部分は桜ヶ丘二丁目、野猿街道とニュータウン通りを繋ぐ道沿いは乞田で、
耕地付近は貝取の飛び地となっている。
 その乞田方面に道なりに進むと、山の雑木に向かって急な階段がある。
これが庚申神社への入り口で、昇ったところに鎮守は静かに存在している。
バス停から耕地を長めながら神社に至り、その後は桜ヶ丘の史跡を巡るか、
あるいは東寺方に向かって行くのも良いだろう。
大部分が宅地化されているが、旧道の面影や、地形など、良く見ればたちまちに
当時の情景が想像されるような所も無いわけではない。

 これ以上にこの地域が面影をなくさないことを願ってやまない。

この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=16&lat=35.63532&lon=139.44183&layers=B0F0FTTTTF

この辺りの現在の地図は以下

大きな地図で見る
 
 
 
9602cda4.jpg






名称:狼谷戸、狼谷、大谷戸
住所:東京都多摩市関戸6丁目付近
所属:多摩丘陵、狼谷本谷
河川:狼谷川(おおかみだにがわ)
水系:多摩川水系、乞田川支流
鎮守:鈴岸稲荷神社 祭神:宇迦之御魂大神(推定)

自然度:3/5 景観:4/5 危険度:2/5
宅地化:3/5 荒地:1/5 農地:3/5
水田:有り 耕地:有り 公園化:半分

消失危険度:0/5

  多摩市役所の裏手に突如広がる農村風景に驚かれる方も多いかも知れない。
この地は地元の方のご努力もあって、多摩市の中心部近くであるにもかかわらず、
開発の手を免れ、原風景をそのままとどめている貴重な場所である。
その昔は名前の示すとおり、狼が出るような寂しいところであったとか、
実際に狼に旅人が襲われたといった言い伝えも残っているとおり、
山深く、余り人の通らない場所であったというが、実際にはもっと山の方、
この谷戸の最奥部をそう呼んでおり、現在でも残っている下流側は大谷戸と呼んでいたようだが、
時代が移って今はこの谷戸を狼谷戸と呼ぶことが増えているようだ。
 近くには鎌倉街道が通っており、関所跡もあるなど歴史的にも人の往来の絶えない所から
たった一本それた途端に昔ながらの多摩の農村は待っている。

eb3b287a.jpg 旧鎌倉街道を多摩市役所に向けて上って行くと、京王バスのバス停「坂下」がある。
この坂下バス停から、本線からそれて行く道がある。実はこれが古鎌倉街道であり、
この道を進むと多摩市役所の裏手の方に昇って行く。
その上り坂を「沓切坂」と言うのだそうだが、更に分岐する道がこの谷戸の入り口だ。
 奥には桜ヶ丘の宅地がびっしりと立ち並び、この集落との好対照を見せている。
背後には里山をしょっており、この里山は公園とされて昔の小字から「原峰公園」と名付けられ、
手つかずの雑木林がそのまま保存されたような印象である。

 谷戸入り口から一歩入るとすぐに水田が目に飛び込んでくる。
多摩の地酒「原峰のいずみ」を醸すために用いられる酒米をここで育てているそうだ。
また同じ名前の味噌を造る工場も近くにあり、味わいは滋味深く旨味の深い素晴らしい。

 散策にはまずこの谷戸をじっくり楽しむことから始めたい。農村の土の匂い、柔らかな水田の色合いを
じっくり鑑賞し、民家の入り口や畑に植えられた四季折々の花を楽しみながら、谷戸の上へと向い、
宅地に向かう階段を上り、少し行ったところを右折する。
眼下にこの谷戸を一望出来る高台のロケーションを楽しんだらその道を上がって行くと、
多摩市のコミュニティ施設「ゆう桜ヶ丘」に着く。
 ここでちょっと休憩したらそこから「原峰公園」の雑木を散策に入る。
少し荒れてしまっているのが残念だが、オナガやヒヨドリの多い森のあちこちに水路や休憩所があって、
疲れてもすぐに休憩が取れる。
その森の中に入り口の見つけにくい鳥居が建っている。
この鳥居は山の上側からのルートでないとは入れないが、鈴岸稲荷という稲荷神社で、
集落の人々が建立した鎮守である。

 昔は多摩市役所の方まで谷戸が伸びていたそうだが、多くは開発に呑まれ面影は少ない。
そんな中、この場所だけが素晴らしい景観をとどめたのは当に軌跡のようでさえある。

この付近の昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=16&lat=35.63744&lon=139.44522&layers=B0F0FTTTTF

現在の地図は以下

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谷戸や里山は自然の宝庫です。
虫や昆虫、動物や野鳥が沢山居ますが、絶対に採ってはいけません。
可愛くても、綺麗でも見るだけにとどめましょう。
またハチやアブ、蛇なども多く住んでいますので、服装には気をつけて、
かつ夏場などは熱中症の対策もしっかりしましょう。
谷戸や里山に入ると自動販売機やコンビニはありませんので、
事前にしっかり準備しましょう。

谷戸や里山には雑木林、沼、池、崖があります。
メインルートから外れると、踏み跡のような道が沢山入り組んでいて
地元の方以外では迷ってしまいます。
ため池や底なし沼、急な崖などもあるので、脇道には入らないようにしましょう。
どうしても旧道や踏み跡に進む場合は、事前に入念なリサーチをし、
地元の方にお話を聞いた上で、充分な装備(コンパスや地図など)をもって入りましょう。

谷戸や里山は私有地であることが多いです。
突然見ず知らずの人間が、自分の家の庭に入り込んできたら気分が悪いものです。
私有地であることを忘れずに、入る際は許可を取ってからにしましょう。
また田圃や畑には丹精込めて育てられた作物がたくさんあります。
こういった所には立ち入らず、無論採ったりしてはいけません。

ゴミ捨てや花火、バーベキューなどはしてはいけません。
谷戸や里山は自然の宝庫であり、私有地でもあり、ゴミなどを捨ててはいけません。
必ず持って帰るようにしましょう。
また沢沿いでバーベキューをしたり、花火などをしてはいけません。
一部地域では不法投棄が問題化しています。

地元の方には挨拶を
他人の土地へお邪魔しているのですから、地元の方には挨拶をしましょう。
また同好の方どうしがすれ違ったときも、お互いに挨拶を交わしましょう。

公園化されている場所でも
基本は同じです。ゴミを捨てたり迷惑な行為は慎み、自然を楽しむだけにしましょう。

宅地化された場所では
住宅地は多くの方の生活場所ですから、大声を出したり迷惑な行為は慎みましょう。
また写真を撮るにしても、プライバシーに注意し、表札等の個人情報には
最大限留意しましょう。

上記を必ず守った上で、谷戸、里山歩きを楽しみましょう。

 谷戸とは多摩の原風景を語る上で欠かすことのできない地形である。
丘陵部には大昔に形作られた小さな谷が無数にあり、
これらは湧水やその湧水からの流れで浸食を受けて出来上がっていった。
さらにその谷間は沖積により平坦面を作ったことで、山間に住む民の農地に使われ、
棚田や斜面耕地が生まれていった。

 こういった風景は多くの地方に存在し、その呼び方も様々である。
すなわち、「谷戸」「谷(ヤト)」「谷地」「谷津」「貝戸」「垣戸」「開戸」「海道」などである。
しかし進む開発により、谷戸の風景は減る一方である。
 特に多摩ではニュータウン開発により、多くの谷戸や里山が消失し宅地へ変貌してしまった。
谷戸はいつでも水と豊かな里山と一体であったから、当然動植物、鳥、昆虫と様々な自然が豊富で
人と自然の共存のお手本と言って良い場所であったが、これらも開発ともに失われ、
残ったのは今や半ばゴーストタウンとかしてゆく大規模団地の風景だ。

 このブログではそんな中辛くも残った原風景の紹介と、既に消失した谷戸の面影を
多くの人にご紹介することを目的としています。
日頃の散歩コースに、写真撮影ポイントととして、あるいは写生の対象として
加えてみてはいかがだろうか。

より詳しい「谷戸」についての説明はwikipediaを参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%88%B8
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音楽系の仕事の傍ら、多摩の原風景を求めて
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