忍者ブログ
谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
[1]  [2
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

神奈川県横浜市都筑区大熊町は北の方の一部を仲町台として分離したが、かつては仲町台を含めた細長い村域の大熊村という村であった。
東を新羽、西を東方に接し、間の谷戸を中心にした村域は決して広いわけでは無いが、その中には多くの谷戸や沢が見てとれる。
地名の特徴は地形的なものが多く、特徴的なものは無いが、谷戸の名の多くが字としては残らなかったようだ。
かつての小名としては「薬師谷」「毘沙門谷」「将監谷」などがあったようだが、これらの比定地は新編武蔵風土記稿の言う方向と地形を照らし合わせて行ったので、確証が薄いものになってしまった。
地元では通称として使われているかも知れないが、資料も多くは無く、誤りがあるかも知れない。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を活用した。感謝と共に。
「都筑の民俗(港北ニュータウン郷土史編纂委員会)」「今昔マップon the web」「横浜市建築局都市計画課横浜市三千分一地形図」

比定不能地名は特にないが、資料が少ないので情報提供が頂けるとありがたい。



より大きな地図で 大熊(横浜市)の地名 を表示
PR
神奈川県横浜市都筑区勝田町は現在勝田南となっているエリアを含む一つの村で、勝田村と言った。由来には「鍛冶田」の転訛ではないかと言うものもあり、この地ももしかすると古く産鉄、製鉄の歴史を持つ地だったのかも知れない。
地名を見てみると、大きな特徴として、字名や小名以外にも講中名があり、土地の方々は各集落部の呼び方として、この講中名を用いておられるようだ。
西根、狭間根、店根、谷根、原根などそれぞれに麓の集落部の意味のある「根」の文字を付けているのもまた、丘陵部の村の特徴を表しているように思う。
字名、旧地名では大きく変わったものがあるわけではないが、古くから言い習わされていると思われる土地の通称の様なものが、多くの坂名に見られるのが面白い。
特に勝田の由来と関係するのかは分からないが「包丁面坂」という坂がある。これはこの坂のある辺りを「包丁面」と呼んだことからだと思うが、資料には由来ではなく伝承が載っている。
古く大蛇が住んでいたという伝承なのだが、蛇と産鉄地名とは密接だとする説もあり、そう考えてみると、鍛冶と包丁もまた密接というより、一体と言って良いものだろうし、どうもこの地が製鉄地であったというのもあながち間違いではなさそうな気がしてくる。
また、「金子田」という地名も、もしかすると関係地名かも知れない。ただし他地域で類似の地名に「収量の良い田」の意味がある例もあるので、すぐに結論と結びつけるわけにはいかないのだが。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を用いたので、感謝と共にご紹介したい。
「勝田のあゆみ(勝田のあゆみ発行委員会)」「なかがわ(横浜市立中川小学校百周年記念事業実行委員会)」「都筑の民俗(港北ニュータウン郷土史編纂委員会)」「今昔マップon the web」

比定不能地名は以下の通り
・杉下
・マツ場

※ご指摘がありました地名読み2件の修正を行いました。
※一部地名の読みの修正を行いました。



より大きな地図で 勝田(横浜市)の地名 を表示
神奈川県横浜市都筑区大棚町はかつては牛久保と一村をなしていた。後に牛久保が分離し、村域は細長い丘陵地と、早渕川沿いの耕地となった。
現在は大棚の地名を残し、住居表示未実施の地区も残るが、西の方はかつて合併してできた大きな村名である中川村の名を引き継ぐ中川となり住居表示が実施、更に西北の荏田、石川境はあゆみが丘という地名が付けられている。
丘陵が大部分を占める地なので、多くの地名はその類型通りのものが多い中、西側には不思議な地名が多く伝わっている。
牛久保分となったあゆみが丘の一角に「刑場」の地名が残り、この周辺にこれの関係地名のようにも見える、ちょっと物騒な地名が集まっている。
しかしこの辺りは旗本領であったことから、少なくとも江戸期に刑場が置かれることはなく、もしあったとしてもかなり古い時代のものであろうと言われており、反対説としては「老馬」は「牢場」ではなく「籠場」とみて地形地名であるとか、「百たたき」も崖地名、崩落地名だろうと考えるなど諸説有るようだ。
ちょっと気になる点として、こう言った関連地名に「鍛山」があげられており、鍛える山とは何かの刑罰を彷彿とすると考える方法もあろうが、これは明らかに産鉄・製鉄地名だろうし、刑場説も多少乱暴な類推があるのかも知れない。
ただしこれだけ関係地名とおぼしきものが集まるのは少々不思議で有り、街道筋にあたることから古い時代に刑場が設けられていたとしても不思議はなく、どれもそれなりの説得力を持っているため、何とも結論づけるのは難しい。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を参考にした。謝意を込めてご紹介したい。
「都筑の民俗(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会)」「今昔マップon the web」「マピオン」「歴史と素敵なおつきあい」

比定不能地名は以下の通り
・磔場
・矢ノ谷



より大きな地図で 大棚(横浜市)の地名 を表示
横浜市都筑区牛久保は現在は牛久保西、牛久保東などやすみれが丘、一部はあゆみが丘などと名を変えているが、そもそも牛久保村という小さな村であった。
村域が小さいのには分けが有り、それ以前は大棚村の一角に過ぎなかったものが、分離して一村となったという経緯があるようだ。
その後中川村の大字となり、牛久保町を経て、現在の状況となっていった。
かつての村域には緑が残されているエリアも多いが、やはりセンター北駅を要する都市となった今、開発も激しく、勝手の面影は全く感じない場所もまた多い。
地名は村名にすでに久保が付くだけあり、山間の窪地と小さな谷間に集落があると言う山深さを感じるものが多く、山田村などとも同じく、多くの地名に谷戸の名が付けられている。
特に特色があるものは「金子入」という大きな谷戸と、この中の字「上金子」「下金子」であろうか。これは鍛治地名であり、場所がよく分からないが他に「かながしら」という地名も残されているという。
鍛治地名と言うものの、もしかするとこれはもっとルーツの古い産鉄、製鉄地名かも知れないとも考えられ、多摩丘陵は広く産鉄の地だったという説を裏付ける地名にもなり得るのではと思う。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を活用した。謝意を申し添えたい。
「都筑の民俗(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会)」「今昔マップon the web」「マピオン」「歴史と素敵なおつきあい」

比定不能地名は以下の通り
・清水谷
・子ノ神谷
・海道下
・かながしら
・さいの神
・せどの谷



より大きな地図で 牛久保(横浜市)の地名 を表示
神奈川県横浜市都筑区の北山田、西山田、東山田の一帯はそもそもは山田村という山深い地の村であった。
これが、中川村の大字になり、その後字名の統合で小字が北、西、東、南に纏められ、現在の各地区名の元になっている。
字の統合が行われる前の地名は非常に特色豊かであり、これらの多くが現在もバス停名、交差点名や公園名として残されているのは素晴らしいことである。
平地があまりない、山深い地であったことからそれらの地名のほとんどには「谷(やと)」の文字が付いている。
襞状に切れ込む谷戸を様々な生活の場所として位置づけていたことが見てとれるものであり、地形地名の他に講の信仰を元にする信仰地名が多いことも特徴だろう。
現在でも山田富士公園となって保存されている小山も、富士講という信仰に由来するもので、付近の小さな谷戸は富士谷と言ったようだし、東の方には二十三夜という地名も見られる。これも月待ち講による地名である。
またやや難読と思われる地名に「松崎(まんざき)」や「芝生(しぼう)」があり、尻無の転訛地名の「神無」や同じ文字を用いる「神無谷(こむやと)」なども特徴的なものになっている。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を用いたので、感謝とともに紹介したい。
「都筑の民俗(港北ニュータウン郷土誌編纂委員会)」「今昔マップon the web」「マピオン」「歴史と素敵なおつきあい」

比定不能地名は以下の通り
・日影谷
・裏谷
・羽場根
・長瀬山
・鎌田屋敷




より大きな地図で 山田(横浜市)の地名 を表示
神奈川県横浜市都筑区佐江戸町は谷本川と鶴見川の合流付近に位置する。
村名のいわれは江戸の左の方にあることからと伝わるが、恐らく塞戸の転嫁からおきた名前であろう。
塞戸は別所地名と関係が深く、それを裏付けるように当地にも別所に置かれたという東光寺の地名が残っている。
村域の多くは丘陵部と南の鶴見川北岸の耕地からなり、特に北方の丘陵地は現在は開発されて近代的なニュータウンとなっているが、昔は複雑に入り組んだ地形をしていた。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を参考にしたので、謝意ともにご紹介したい。
「佐江戸誌(横浜市緑区佐江戸町内会)」「横浜じゃん旅行社web」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は以下の通り
・御所ヶ谷・・・村の中央に有りという
・ちゞろけ谷・・・村の北にありという
・ぢがんどう・・・仝
・地蔵やしき
・五ッ田・・・巽の方にありという

※情報提供により「貝の坂」の地名解釈を加筆しました。




より大きな地図で 佐江戸の地名 を表示
神奈川県横浜市都筑区折本町は東方町のさらに東に位置する小さな地域。
地形的には東方町と同じ台地と、南の平地によってできており、地区を第三京浜が縦に走る。
地名の傾向を見ると、どうも川向町と同様の傾向を持った耕地地名が南部に見られ、耕地整理ごに付いた地名なのではないかなと思う。
北部は星谷、葛ヶ谷方面からの谷が一つになった谷筋になっている。

地名の拾いあげと比定は以下の資料を活用した。
「横浜じゃん旅行社web」「今昔マップon the web」

比定不能地名は以下の通り
・前ヶ谷

※新たに見つかった字「表根」「塩見坂下」を加え、一部比定場所を修正しました。
※情報提供により「貝ガラ塚」「堂ヶ坂」を加え、一部地名解釈を加筆しました。



より大きな地図で 折本町(横浜市)の地名 を表示
神奈川県横浜市都筑区川向町は、そもそも鶴見川対岸の小机村の地であった。
鶴見川はかつて大変な暴れ川として知られ、恐らく大規模な氾濫で流路が変わり、川向こうの地になってしまった事が、村名になったものだろうと言う。
その経緯から村域は小さく、たびたび水害に悩まされる地域であったようだ。
地名は住居表示未実施の為、現在も字が現役だが、明治期の耕地整理時に多くの字がなくなり、村域中央から東は南に南耕地、北に北耕地の2つの字を置き、それ以前のものを統合してしまったようだ。
村域の西端と東端にはそれ以前から用いられている字の下埜と舁沼が残り、これらは現役の字名である。
当地は全域が鶴見川沿いで、丘陵部を含まないため、本来は当blogの範疇ではないが、廻りの地域との関わりなどを考慮に入れて取り扱った。

地名の拾いあげと比定は以下の資料を参考にした。謝意を申し添えたい。
「都田 創立百周年記念誌(横浜市立都田小学校創立百年記念事業実行委員会)」「横浜じゃん旅行社web」


比定不能地名は特にない。




より大きな地図で 川向町(横浜市)の地名 を表示
神奈川県横浜市都筑区東方町は現在も非常に広い範囲で農地が広がり、懐かしい風景を残している地のように思える。
しかしその広大な農地は、台地に刻まれた小さな谷戸を埋めて整地し、その上で新たに区割りを施して農地にしたものであって、この地の原風景を残しているとは多少分けが違うようだ
これは農地利用にしても、山と谷の多い地ではその用地の確保が難しく、谷を埋めて整地すれば飛躍的に多くの土地が確保できるという、都市開発的側面が強いものであり、致し方ないことであったのだろう。
地名の傾向は里山と谷戸の地に典型的なものが多く、地名の上では昔の姿を想像しやすいものとなっているが、その中に「蹈鞴沢」「鬼塚」など産鉄、製鉄関係地名が散見され、この地でも古代には蹈鞴が置かれ、鉄を作っていたのだろうと考えられるのではないだろうか。
なお、地名の比定にあたっては ハラQ様(@ACTS142)より資料のご紹介がありましたこと、この場を借りて深く御礼を申し上げます。

地名の拾いあげと比定には以下の資料を活用したので、合わせてご紹介したい。
「都田 創立百周年記念誌(横浜市立都田小学校創立百年記念事業実行委員会)」「今昔マップ on the web」「横浜じゃん旅行社web」

比定不能地名は以下の通り
・星谷沢・・・池辺町分けか
・星谷台・・・仝
・村下塚
・殿山
・大井田
・川田
・右近屋敷
・左近屋敷
・クズガ堤
・長坂

※「蛇谷」の読みについて、ご指摘がありましたので修正しました。
※「石荒」の読みと、地名解釈について情報の提供により追記しました。
※「平台」の読みの修正、「星谷台」「星谷沢」の字名を加えました。
※比定不能地名に古地名をいくつか加え、一部地名の地名解釈を修正、「岩崎」を追記しました。



より大きな地図で 東方町(横浜市)の地名 を表示
横浜市都筑区茅ケ崎は現在、茅ケ崎町、茅ケ崎東、茅ケ崎南、茅ケ崎中央に分かれる都筑区の中心的な町として発展繁栄している。この地はかつて茅ヶ崎村という一村からなり多摩丘陵に位置する、里山と谷戸の多い地であった。
また町名の表記もかつては「茅ヶ崎村」とケは小さく書いたようだが、現在は「茅ケ崎」と多く書く事を正式としているとのことなので、記事でもこれに習った書き方をした。
現在のようになる前は字名がいくつか残っており、それぞれの字は明治初期に更に小さな字を合併したものであるが、良い資料に巡り会えたので、今回は明治初期の字の比定も行った。
やはり谷戸名が多く、中でも村域二箇所に「ロクボ」という独特の地名が出てくる。恐らく小さな谷戸地が多く集まった地形故に、それを例え「六久保」と言ったものが転嫁し、音だけが伝わったものだろう。これだけでも如何に山と谷の多い入り組んだ地だったかが分かるが、現在は開発著しく、それらの面影は一部の公園地以外には全く見られない。
地名の拾いあげと比定には以下の資料を用いたので、併せて深く感謝を申し添えたい。
「都筑の民俗(港北ニュータウン郷土史編纂委員会)」「今昔マップ on the web」

比定不能地名は以下の通り
・織部谷
・牢窪谷
・源左衛門里
・中村里(字中村のことか)
・アラ里(旧字アラ谷のことか)
・アヲハ

※一部勝田の地名が混ざっていたのを修正しました。




より大きな地図で 茅ケ崎(横浜市)の地名 を表示
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[02/06 金井民]
[06/12 tanio]
[06/10 伊藤]
[05/24 管理人]
[05/23 伊藤]
[12/15 管理人]
[12/05 なめこうに]
[11/30 管理人]
[09/28 なめこうに]
[09/25 管理人]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ベリリウム榊
性別:
男性
自己紹介:
音楽系の仕事の傍ら、多摩の原風景を求めて
歩き回っています。
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]