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谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
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八王子市館町は高尾、相原に近い深い山間部を要する八王子の町である。その地名の多くに沢の名が見られ、また傾向も山間集落の趣を感じるものが多い。
 しかしながらそのような場所にも開発の手は容赦なく入っている。多くの団地や清掃工場、学校用地が作られ、消滅した地名もまた数多い。
 地元研究家の方が纏められた資料を参考に、この地の地名を纏めてみたが、深い山間部の沢の名は今となってはあまり資料もなく、検索しても全く出てこないものが多く、沢歩きや登山を趣味とされる方の資料としても活用できるかも知れない。
 とは言っても資料の正確さは保証できないので、あくまで参考程度と言うことを前提にシテ頂ければ幸いだ。


より大きな地図で 館町の地名 を表示
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八王子市打越町は多摩丘陵の只中にあり、かつては幾筋もの沢、谷戸、そして里山からなる純農村であり、長閑な光景が当たり前のように存在していた場所である。
 しかし16号バイパスの建造や大規模な宅地開発などでそれらの光景は根本的に激変、起伏の多い地にこれでもかと敷き詰められた住宅ばかりの場所となってしまった。
 東京の丘陵部における典型的な状況とも言えるが、私個人としてはこの付近の宅地造成のありかたは非常に不快極まりないと感じている。山の切り方の節操の無さ、宅地部は周囲の景観や、元々の地形などに無配慮極まりなく、山肌に何か住宅の絨毯を無造作に敷き詰めたかのような状態は、遠望しても決して心地よいものとは言えない。今後の丘陵部開発に於いて開発関係者にあってはある種の反面教師としても良いのではないかと思う。
 個人的な感想は脇に置くとして、古い地名については各所の公園などに残されており、比定にはさほどの苦労はないが、もともと古い資料の少ない地であり、その絶対数は通称地名まで調べればもっともっと多いことは間違いないだろう。今回もここまで纏めた分を暫定版として公開し、情報の追加があり次第更新していこうと思う。

八王子市長沼町は、浅川に面した丘陵地を中心とする地域で、周辺の開発が進む中、都立長沼公園として多くの地域が残されたことは非常に意義深い。
山裾の集落部も耕作地が残り懐かしい光景の広がる地区となっているが、かつては同名の村が稲城にあったことから西長沼村と呼ばれてた。
また隣接の日野市との区界は非常に複雑になっていたり、地名比定の基礎資料となる資料が薄いなど、研究にはまだまだ余地を残すものの、現時点で分かっている地名を拾い集めて纏め、暫定版として公開することにした。


より大きな地図で 長沼町の地名 を表示
八王子市鑓水は多摩ニュータウンとの境界に位置し、北側と南側で全く違う運命を辿ることになった地域である。
 南側はニュータウン区域となり、大規模な開発が行われ里山や谷戸の景観は全く失われてしまったが、北側はニュータウン区域とはならず、国道十六号バイパスが建設されたことを除けばまったく昔のままの景観を残している。
 歴史的にも非常に重要な地域で、多摩丘陵奥の寒村に過ぎなかった村は養蚕で栄えることになり、これらを執り仕切る「鑓水商人」という商家が栄華を誇ることになった。後に絹産業の衰退とともにこれらの商家は没落し、また一寒村に戻ったこの地区は、道了堂にまつわるミステリアスな話、商家の没落に伴う言い伝えや、古代の産鉄と関係があると思われるエミシの居住を伺わせる出土物など様々で、多用な視点から刊行物があったりもする。
 ことにこの土地にある極めてユニークな地名「嫁入」や「神子沢」と関係のある巫女伝説は多摩の昔話としてもその内容の不思議さから、知られる存在になっていると言えるだろう。個人的にはこの巫女伝説と伊丹木などのアイヌ由来とされる地名は古代産鉄とエミシに由来すると考えると、密接に関係があるのではないかと思っている。
 今後も開発の話題が出ることも予想され、ニュータウンのはずれに残された景観がいつまで残るかは分からない鑓水の地名を、様々な刊行物から拾い集めてトレースしてみた。通称地名には比定の難しいものもあり正確さは保証できないが、散策の一助になれば幸いだ。



より大きな地図で 鑓水の地名 を表示
八王子みなみ野といえば、近年開発されたニュータウンでモダンな町並みの広がる新興住宅街である。
しかし少し前までは開発とは無縁の多摩の原風景を色濃く残した里山農村地区であった。
さすがに開発の遅かった地域でもあり、当時の姿を残しておこうと地元で作られた資料は非常に充実しており、地名を辿る上に於いてはこの上ない最上級の内容となっている。
すでに大きく変貌した町に訪れる、あるいはそこに新たな住居を求めて居住する人々は、その土地のかつての姿を知り、その歴史にちょっとだけ敬意をもってみるのも良いのではないだろうか。
そこで宇津貫みどりの会様が発行された「みなみ野シティーのルーツ 宇津貫・片倉 谷戸のくらし」を参考にgoogle map上にかつての地名を入力してみた。
地元への愛、郷土への愛に溢れた素晴らしい資料をお出し頂いたことに深い感謝と、ご努力に最大の敬意を表したい。
また現会長様より研究への資料の引用の許可を頂いたこと、元会長様より会員向けの資料をを大栗いただいたこと、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。

google map上にトレースするに当たってはかつての航空写真などを参考に行ったが、若干の差違、間違いなどがあるかも知れないので、正確な資料とは言えないことをご了承頂きたい。

参考資料は以下のとおり
「宇津貫・片倉むかし道」「谷戸のくらし」「新編武蔵国風土記稿」「今昔マップ on the web」

追記
みなみ野シティとして比定を行ったものを旧村域に改め、再比定を行った。

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