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谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
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神奈川県横浜市戸塚区戸塚町はもともと宿場町戸塚宿とそれに付随する宿付町の戸塚町とで構成され、宿は現在の字が丁目と付く部分のみであった。
これらが纏められ戸塚区の大字となり今に至った。全域で住居表示は未実施となっているが、そもそもの字が制定された時にすでにそれに似た字名をつけているので、住居表示を行った際の丁目とは少し趣を事にしている。
尚、字については全て現役であるが、旧戸塚宿部は字一丁目~字六丁目、旧戸塚町部分も字一ノ区(マチ)~字二十二ノ区となっており、それ以前の地名については失われてしまっているようにみえる。
そこで細かい地名調べるとっかかりとしてgoogle mapを用いて公園名や建物の名称を見ると、古い地名に由来すると思われるものがちらほら見つかってくる。
例えば「富士見台」「皇谷」「ぜんば」「和田」などである。
どうもそもそもは他の村と同じように、各字は普通の意味での地名を用いていたが、これらの区画をそのままに番号字に置き換えたものと考えられる。
それぞれに符合する地名をすべて洗い出すことはできなかったが、現在調べの付く範囲で古い地名を洗い出し、符合すると思われる番号字を併記する形で本文を構成したつもりである。
もともと戸塚町域は多くの谷戸が刻まれる険しい地形であり、それを表すように川柳に「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」と歌われている。
北の矢沢から新沢、宮ノ谷と続き、白土谷、皇谷、長久保など谷の名前が多く残されている他、東海道には現在大坂と呼ばれている「一番坂」「二番坂」とそれに続く「白土坂」という坂の名前、これ以外にも「矢沢坂」「宮ノ谷坂」「和田坂」が風土記稿にも記載されており、これに関係して各山の名前も多く見いだせるのは、まさにこの険しい地形を象徴していると思う。

不明地名は
西ノ久保
女コロビ坂

地名の拾い上げと比定には以下の資料を用いた
「横浜市三千分の一地形図」「今昔マップon the web」「東海道への誘い」「鎌倉と旧鎌倉郡の歴史を訪ねて」「旧東海道戸塚宿の歴史を歩く散策マップ」「東海道分間延絵図を歩く」「事事関心!」「google」


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音楽系の仕事の傍ら、多摩の原風景を求めて
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