忍者ブログ
谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
[224]  [223]  [222]  [221]  [220]  [219]  [218]  [217]  [216]  [215]  [214
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

神奈川県横浜市港南区野庭町はもともと相模国鎌倉郡に属す上野庭村、下野庭村のニ村からなっていた。これらが横浜市編入~港南区分離の経緯の中で一つになり野庭町として現在に至っている。
港南区は全域で開発が進んでおり、ニュータウンとして昔の姿からは想像をだにしない大変貌を遂げた場所である。しかし野庭町、特に旧上野庭村のエリアは、まさに孤島のように昔のこの地の姿をそのまま今に残す非常に貴重な場所となっている。
また本地域は港南区では残り少ない住居表示未実施のエリアとなっており、小字はすべて現役のものである。
地名特徴は犬牙錯雑たる地形を反映して谷の地名が多いようだが、今までの区域と違い、谷であっても「前田町」のように町の字をつけた字に纏められている。
このことからかつての古い地名の多くが淘汰されたと考えるのは当然と言えるものの、風土記稿等の資料を見てもそもそも谷戸名を持たない谷戸が多かった節もある。
地元での通称などを調べればより多くのことがわかりそうではあるものの、ここでは現小字のポインティングと分かる範囲での古地名の比定を行ったので、多くの比定不能地名が残ってしまった。
これらは資料が増えた暁にはふたたび比定を行いたいと思う。

比定不能地名は以下の通り

【旧上野庭村分】

天蔵田

谷堀

細田

島田

池田

仲之町

柳町

狩又

新蔵

かしま

岩河

栗立

三段町

菖蒲田

池之谷

元入

柏葉

桃之木

蘆久保

入之前

【旧下野庭村分】

西ノわき

山かけ

二段田

池ノ谷

ほそ田

地名の拾い上げと比定は以下の資料を用いた
「港南区小字地図」「今昔マップon the web」「横浜三千分の一地形図」「横浜じゃん旅行社 散歩の閑人」「皇国地誌上野庭村村誌」「皇国地誌下野庭村村誌」「新編相模国風土記稿」「みんなでつくるよこはまっぷ」「google」


PR
この記事にコメントする
name
title
font color
mali
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[02/06 金井民]
[06/12 tanio]
[06/10 伊藤]
[05/24 管理人]
[05/23 伊藤]
[12/15 管理人]
[12/05 なめこうに]
[11/30 管理人]
[09/28 なめこうに]
[09/25 管理人]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ベリリウム榊
性別:
男性
自己紹介:
音楽系の仕事の傍ら、多摩の原風景を求めて
歩き回っています。
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]