忍者ブログ
谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。 このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。 また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
[68]  [67]  [66]  [65]  [64]  [63]  [62]  [61]  [60]  [59]  [58
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

片倉は元々多摩丘陵奥の農村で、御殿峠、杉山峠の大きな峠を南に要し、村域は多くの里山、谷戸からなっていた。北部は川沿いの田畑で、そこには廃寺となった来光寺の名を残す字もあった。
しかし片倉台、北野台等の造成が入り、山は無残に切られ、谷は埋められて見る影もなくなってしまったのは非常に残念である。
のどかな雰囲気を残していた西部も、八王子みなみ野シティの造成で区画が大きく変わり、新たにできた西片倉なる地域になり、モダンな町が歴史を蹂躙してしまった。
多摩丘陵の農村の現代の姿に標準モデルがあるとしたら、当地はその典型に当てはまるのかもしれない。
そんな片倉の地名を少ない資料から拾ってみた。谷戸名に関しては細かいものまで調べられたが、多くの地名が名前だけの列挙に終わっているため、極めて乏しい手がかりを使って推定したため、非常に正確さに欠けるものとなっている。
このあたりは資料の限界も大きいので、地元での聞き取りを行わなければこれ以上は進まないだろう。今回の公開はあくまで暫定公開としたい。聞き取りの結果、非低地が大幅に変更される可能性が大いにあるので使用に当たってはご注意されたい。
地名の拾い上げ、比定には以下の資料を参考にしたので、ここに謝意を表したい。
「八王子事典(かたくら書店)」「みなみ野シティのルーツ 宇津貫・片倉 谷戸のくらし(宇津貫みどりの会)」「片倉物語(川端一郎)」「片倉物語 続(川端一郎)」「八王子片倉台の地誌(馬場喜信)」「今昔マップon web」「国土変遷アーカイブ」
比定不能地名はないが以下の地名は根拠に乏しい
●釜貫地区
ももんがー谷戸
十二匁
猿田
馬捨場
●車石地区
ねんぬき谷戸
小谷戸
大杉谷戸
ムジナ谷戸
●御殿山地区
そ馬捨場
笹谷戸
長窪
じい田谷戸



より大きな地図で 片倉(八王子市)の地名 を表示
PR
この記事にコメントする
name
title
font color
mali
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[02/06 金井民]
[06/12 tanio]
[06/10 伊藤]
[05/24 管理人]
[05/23 伊藤]
[12/15 管理人]
[12/05 なめこうに]
[11/30 管理人]
[09/28 なめこうに]
[09/25 管理人]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ベリリウム榊
性別:
男性
自己紹介:
音楽系の仕事の傍ら、多摩の原風景を求めて
歩き回っています。
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]