谷戸、里山は今や貴重な存在と成っていますが、そもそも多摩の原風景と言えば当にそれでした。
このブログではそんな多摩の原風景をご紹介し、未来にこの素晴らしい風景を伝える一助と成ればと思って開設しました。
また記録の意味も含めて、宅地化されて失われてしまった谷戸や、人工の谷戸や里山も紹介します。
町田市の図師は有数の景観を誇る東部と、開発され変貌した西部とからなる地区です。里山のと谷戸の景観は本当に見事でかつての多摩丘陵の雰囲気を色濃く残し、散歩コースとしても人気があります。また尾根に縦横に走る古道も雰囲気良く、歩くだけでノスタルジックな気分になれる有数のポイントではないでしょうか。
地名にも放牧関係や古墳関係と思われるユニークなものもあり、古くから人の営みが刻まれてきた地であることが分かります。
町田市の資料を参考に纏めましたが、公開に問題がある場合などは、削除等の対策をとることもあります。
より大きな地図で 図師の地名 を表示
地名にも放牧関係や古墳関係と思われるユニークなものもあり、古くから人の営みが刻まれてきた地であることが分かります。
町田市の資料を参考に纏めましたが、公開に問題がある場合などは、削除等の対策をとることもあります。
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町田市小野路町は、現在でもかつての多摩丘陵の里山風景を色濃く残し、古街道、城趾、更には古代の産鉄にかかると思われる地名など、歴史的に見ても極めて興味深い地区である。
資材置き場や耕作放棄による荒れ地も確かに多く、やたらに霊園が開発されてしまっている地区もあるが、それでも奈良杯谷戸、万松寺谷戸に代表される素晴らしい谷戸の景観、尾根を縦横に走るむかし道など散策のポイントとしても有名になっている。
古くから多くの地名を持つ場所であるが、比定が難しくなってしまったものもまた多く、このマップを纏めるにあたって、町田市の資料、小野路の地元の方の書いた資料など複数を参考に、推定したがやむなくカットしたもの、また大幅な想像に基づく推定箇所もあり、資料の正確さは保証は出来ないが、古からの歴史を感じて頂くには充分かとも思う。
また公開にあたって、問題がある場合は連絡を頂ければ、中止、削除を含み対応するつもりである。
※新たに調査した結果、北部の比定に誤りがあったので修正しました。
より大きな地図で 小野路の地名 を表示
資材置き場や耕作放棄による荒れ地も確かに多く、やたらに霊園が開発されてしまっている地区もあるが、それでも奈良杯谷戸、万松寺谷戸に代表される素晴らしい谷戸の景観、尾根を縦横に走るむかし道など散策のポイントとしても有名になっている。
古くから多くの地名を持つ場所であるが、比定が難しくなってしまったものもまた多く、このマップを纏めるにあたって、町田市の資料、小野路の地元の方の書いた資料など複数を参考に、推定したがやむなくカットしたもの、また大幅な想像に基づく推定箇所もあり、資料の正確さは保証は出来ないが、古からの歴史を感じて頂くには充分かとも思う。
また公開にあたって、問題がある場合は連絡を頂ければ、中止、削除を含み対応するつもりである。
※新たに調査した結果、北部の比定に誤りがあったので修正しました。
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町田市小山町。近年は小山ヶ丘などの造成も著しく、地形がどんどん変わっているが、境川北岸に丘陵部に向かっていくつもの谷戸が刻まれる農村地帯であった。
現在もバス停や公園などの名前に昔の地名が多く残され、旧家も点在するという新旧混交の地区の古い地名を、町田市の資料を基にトレースしてみた。
資料にはこれ以外に元和に書かれた資料の引用も載っていたが、それらは今となっては比定が難しく、カットしたものも多いことを併記しておく。
また比定には推測も含まれており、資料としての正確性は疑問のある部分もあるので、注意されたい。
公開に問題がある場合は、その旨お知らせ頂きたい。
より大きな地図で 小山の地名 を表示
現在もバス停や公園などの名前に昔の地名が多く残され、旧家も点在するという新旧混交の地区の古い地名を、町田市の資料を基にトレースしてみた。
資料にはこれ以外に元和に書かれた資料の引用も載っていたが、それらは今となっては比定が難しく、カットしたものも多いことを併記しておく。
また比定には推測も含まれており、資料としての正確性は疑問のある部分もあるので、注意されたい。
公開に問題がある場合は、その旨お知らせ頂きたい。
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八王子みなみ野といえば、近年開発されたニュータウンでモダンな町並みの広がる新興住宅街である。
しかし少し前までは開発とは無縁の多摩の原風景を色濃く残した里山農村地区であった。
さすがに開発の遅かった地域でもあり、当時の姿を残しておこうと地元で作られた資料は非常に充実しており、地名を辿る上に於いてはこの上ない最上級の内容となっている。
すでに大きく変貌した町に訪れる、あるいはそこに新たな住居を求めて居住する人々は、その土地のかつての姿を知り、その歴史にちょっとだけ敬意をもってみるのも良いのではないだろうか。
そこで宇津貫みどりの会様が発行された「みなみ野シティーのルーツ 宇津貫・片倉 谷戸のくらし」を参考にgoogle map上にかつての地名を入力してみた。
地元への愛、郷土への愛に溢れた素晴らしい資料をお出し頂いたことに深い感謝と、ご努力に最大の敬意を表したい。
また現会長様より研究への資料の引用の許可を頂いたこと、元会長様より会員向けの資料をを大栗いただいたこと、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
google map上にトレースするに当たってはかつての航空写真などを参考に行ったが、若干の差違、間違いなどがあるかも知れないので、正確な資料とは言えないことをご了承頂きたい。
参考資料は以下のとおり
「宇津貫・片倉むかし道」「谷戸のくらし」「新編武蔵国風土記稿」「今昔マップ on the web」
追記
みなみ野シティとして比定を行ったものを旧村域に改め、再比定を行った。
しかし少し前までは開発とは無縁の多摩の原風景を色濃く残した里山農村地区であった。
さすがに開発の遅かった地域でもあり、当時の姿を残しておこうと地元で作られた資料は非常に充実しており、地名を辿る上に於いてはこの上ない最上級の内容となっている。
すでに大きく変貌した町に訪れる、あるいはそこに新たな住居を求めて居住する人々は、その土地のかつての姿を知り、その歴史にちょっとだけ敬意をもってみるのも良いのではないだろうか。
そこで宇津貫みどりの会様が発行された「みなみ野シティーのルーツ 宇津貫・片倉 谷戸のくらし」を参考にgoogle map上にかつての地名を入力してみた。
地元への愛、郷土への愛に溢れた素晴らしい資料をお出し頂いたことに深い感謝と、ご努力に最大の敬意を表したい。
また現会長様より研究への資料の引用の許可を頂いたこと、元会長様より会員向けの資料をを大栗いただいたこと、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
google map上にトレースするに当たってはかつての航空写真などを参考に行ったが、若干の差違、間違いなどがあるかも知れないので、正確な資料とは言えないことをご了承頂きたい。
参考資料は以下のとおり
「宇津貫・片倉むかし道」「谷戸のくらし」「新編武蔵国風土記稿」「今昔マップ on the web」
追記
みなみ野シティとして比定を行ったものを旧村域に改め、再比定を行った。
名称:子ノ神谷戸
住所:東京都八王子市鑓水
所属:多摩丘陵、厳耕地谷戸支谷
河川:大栗川源流部子ノ神谷戸川
水系:多摩川水系
鎮守:諏訪神社
所属:多摩丘陵、厳耕地谷戸支谷
河川:大栗川源流部子ノ神谷戸川
水系:多摩川水系
鎮守:諏訪神社
自然度:3/5 景観:3/5 危険度:4/5
宅地化:2/5 荒地:4/5 農地:1/5
水田:なし 耕地:あり 公園化:なし
消失危険度:3/5
鑓水の谷戸郡は大栗川の北岸を中心に非常に良く残っている。
逆に南岸は公園化や学校、宅地化により消滅しているところが多く対照的だ。
子ノ神谷戸は現在は諏訪神社に合祀されているこの地の鎮守
子ノ神神社があったことに由来しているそうで、先述の北岸の谷戸郡の一つである。
ただ厳耕地谷戸、嫁入谷戸に比べて荒れ地が多く、荒廃した印象が強い。
中流域までは農地と宅地が点在しているが、谷頭部は近くに
霊園が開発されて尾根の一部が削られたりしたせいもあり、
夏場は立ち入ることが出来ないほどの藪になってしまっている。
冬場には道が出現するので、それに沿って入っていくと、
霊園の裏手に至り、その先には竹林が広がっている。
竹林も荒れているが、そこを抜けて行くと八王子バイパスの下に出る。
ここには使われなくなったトンネルがあり、一部では心霊スポットとして
知られた関係からか、ゴミの不法投棄と、すさまじい落書きに犯されてしまっている。
霊園の用地がどこまでなのか、地権関係はよく分からないが、
どうせなら、この辺りは公園として整備して、墓参の際の散策コースとしても
活用するなどしたら有効利用になるのではないだろうかと思うのだが。
冬場にこの谷頭部に入ってみると、広陵とした風景と
霊園の対比が非常にアンバランスとなっていて、
何か良いアイディアは無いものかと苦い思いになる。
ちなみに荒れ地部は入れると言っても様々な危険もあるので、あまりお勧め出来ない。
またこの谷戸には小さな支谷がいくつかあるが、
そこに通称地名があるかどうかなどはよく分からなかった。
この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=17&lat=35.61596&lon=139.34943&layers=B0F0FTTTTF
この辺りの地図は以下
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名称:嫁入谷戸、弓射谷戸
住所:東京都八王子市鑓水
所属:多摩丘陵、嫁入谷戸本谷
河川:大栗川源流部嫁入谷戸川
水系:多摩川水系
鎮守:諏訪神社
所属:多摩丘陵、嫁入谷戸本谷
河川:大栗川源流部嫁入谷戸川
水系:多摩川水系
鎮守:諏訪神社
自然度:4/5 景観:4/5 危険度:3/5
宅地化:1/5 荒地:2/5 農地:4/5
水田:あり 耕地:あり 公園化:なし
消失危険度:1/5
嫁入谷戸とは変わった名前の谷戸もあるものだと思っていたが、
これには深い理由があるようだ。
この地に昔、夜な夜な現れて舞いを踊る巫女が現れ、
村の若者が皆魅了されてしまった。
これは魔性の類だと言うことになって、屈強なものが弓を射かけると、
たちまちに姿は消え、次の日、弓に射貫かれ田に横たわる狐が発見された。
この巫女伝説に由来し「弓射谷戸」となり転訛して「嫁入谷戸」となったという説がそれだ。
大栗川を挟んだ対岸には「巫女の沢」という名前もあり、この伝説に因む名は
この地の特徴の一つとなっている。
しかし「弓射」の転訛で「嫁入」というものの、
昔から「狐の嫁入り」という言葉もあることから、もっと深い事実が元になっているのかなと
想像を掻き立てられる話である。
他の説では、鑓水商人の家に、三井家から嫁入りがあったことに因むというのもあるが、
なんとなく個人的には前者が有力な気がしてならない。
この谷戸はこの地域の他の谷戸と同じく
大栗川の源流部に辺り、当谷戸の水路も
そのまま他の谷戸からの水と合わさり大栗川となって
多摩川に向かって流れて行く。
この谷戸は先端部が二分岐しており、本谷と支谷ともに
現在でも耕地、水田として現役である。
支谷の入り口には植物関係の会社があり、
その脇を細い水路が流れている。
その奥に小さな耕地が広がっているが、これより先は私有地なので立ち入りは出来ない。
その分岐の正面は本谷の谷頭部となっており、水田を営まれているお宅から先は
やはり私有地なので立ち入りは出来ない。
農作業されていたりしたときは許可を貰って奥に入ることも出来るが、
奥の雑木林に入っていくと、裏の宅地へ抜ける直前に立ち入り禁止の
バリケードが施してあるので、抜けることは出来ない。
素晴らしい景観を楽しむだけにして、無闇に入ることはやはり慎みたい。
谷頭部から下流を見下ろすと、すぐ先にはニュータウンの林立する高層ビルが見えるが、
ニュータウンのほど近くなのに、鳥のさえずり、小川のせせらぎ、葉擦れの音以外には
まず余計な音が無く、非常に静かな場所だ。
この付近まで歩いてきたら、この里山の音に耳を傾けて、じっくり癒されたい。
この付近の昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=17&lat=35.62172&lon=139.35299&layers=B0F0FTTTTF
この付近の地図は以下
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名称:厳耕地谷戸、巌耕地谷戸、岸耕地谷戸、岩耕寺谷戸
発音:がんこうちやと、がんごじやと
発音:がんこうちやと、がんごじやと
住所:東京都八王子市鑓水
所属:多摩丘陵、厳耕地谷戸本谷
河川:大栗川源流部厳耕地谷戸川
水系:多摩川水系
鎮守:諏訪神社
所属:多摩丘陵、厳耕地谷戸本谷
河川:大栗川源流部厳耕地谷戸川
水系:多摩川水系
鎮守:諏訪神社
自然度:3/5 景観:3/5 危険度:2/5
宅地化:3/5 荒地:2/5 農地:2/5
水田:あり 耕地:あり 公園化:一部
消失危険度:3/5
八王子市鑓水は今でも谷戸と里山の景観を色濃く残している貴重な地域で、
多摩丘陵の昔の雰囲気を肌で感じられる少ない場所の一つとなっている。
当地は鑓水のほぼ中央に位置しており、八王子バイパスの方面の尾根、
御殿山方面からの抜け道が走っている関係上、
自然豊富ながら交通量も多く、徒歩で散策していると極めて煩わしく感じる。
当地は歴史的に見ても重要な土地柄で、近くに「絹の道」という昔道があり、
絹糸の売買で財をなした鑓水商人の館などが保存されており、
これを土台とした絹の道資料館は散策の途中に是非とも寄りたい場所である。
ちなみ資料館の中には鑓水の昔の姿のジオラマがおいてあり、
当地周辺の谷戸の分布などを探る一級の資料となっている。
歴史的に重要で、ニュータウン開発地区に入らなかったことなどから、
この地は谷戸と里山の景観をとどめていると言っても良いのだが、
すぐ近くにニュータウンがあったり、
八王子方面から横浜方面を結ぶ八王子バイパスや、
16号御殿山交差点など、交通の要衝の近くにあることなどで、
開発の波は徐々に押し寄せてきている。
鑓水地区でも東谷戸、日影谷戸、巫女の沢などはすっかり宅地化が進み、
その他の谷戸にも耕作放棄から宅地化への流れが見え隠れしてきているし、
当地の小支谷も霊園開発などが行われており、
消滅までは行かなくとも、景観の変貌は着実に現実の問題となってきている。
当地では一部に水路やビオトープを作って、蛍を楽しめる場所造りの取り組みが
スタートされていたり、隣の柚木地区の公園化による里山の保護活動との
シンクロによって、様々なアイディアが入ってきているのは歓迎すべき事だろう。
歴史と里山の宝庫となって時代へ残したいものである。
この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=17&lat=35.61974&lon=139.35001&layers=B0F0FTTTTF
この辺りの地図は以下
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名称:かわしまやと、いりやと
住所:東京都町田市野津田町薬師台
所属:多摩丘陵、川嶌本谷
河川:不明(川嶌川?)
水系:鶴見川水系
鎮守:野津田神社
所属:多摩丘陵、川嶌本谷
河川:不明(川嶌川?)
水系:鶴見川水系
鎮守:野津田神社
自然度:1/5 景観:1/5 危険度:0/5
宅地化:4/5 荒地:0/5 農地:1/5
水田:なし 耕地:あり 公園化:一部
消失危険度:ほぼ消失済み
薬師池公園のある暖沢谷戸からリス園の裏手の尾根を一本隔てた
隣の谷戸はかつては川嶌谷戸と呼ばれ、字名も川嶌であった。
しかし薬師池公園の再利用とは裏腹に、こちらの谷戸は大造成が行われ
すっかり近代的なベッドタウン薬師台に生まれ変わってしまった。
大造成で消滅した谷戸ということなら、多摩ニュータウンの開発ほど
大規模なものはなかったが、多摩丘陵一円に同じ状況を良く目にする。
今現在も、稲城の南山周辺の大規模開発が進行していたり、
少し前には八王子みなみ野のみなみ野シティー開発に伴って、
宇津貫の谷戸群落が痕跡をとどめないほどに失われてしまっている。
ここ薬師台もそんな場所の一つだが、全くなくなってしまったかというと、
そうでもない。
たしかにぱっと見は分からないほどに地形も変わってしまっているが、
やはり谷戸地というのは傾斜のきつい道が多くなり、
それに沿って家も建てられるので、地形の雰囲気にその痕跡をとどめているし、
所々農地も残っている。
こういった宅地化された谷戸を歩くときは地形に気を配って、昔を思い起こし、
さらにわずかな耕地に懐かしさを求めるのがお勧めだ。
この川嶌地区を歩いてみると、
神奈川中央交通のバス停「入谷戸」が立っている。
入谷戸とは谷戸地の多い場所には良くある名称だが、
実はこの川嶌谷戸、昔の地形図によると
先端が二分岐していたようである。
もしかするとその分岐の片方を「川嶌谷戸」といい、
もう片方を「入谷戸」と言ったのかも知れないし、
この谷戸から分岐する小さな小谷を言ったのか分からないが、
野津田の小字名を歴史的に見ても「入谷戸」の名がないことから
通称地名で有ったことは想像出来る。
バス停に止められた古の記憶である。
この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=16&lat=35.58217&lon=139.45601&layers=B0F0FTTTTF
この辺りの地図は以下
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名称:暖沢谷戸、福王寺谷戸
住所:東京都町田市野津田町字暖沢
所属:多摩丘陵、暖沢本谷
河川:薬師川
水系:鶴見川水系
鎮守:野津田神社
所属:多摩丘陵、暖沢本谷
河川:薬師川
水系:鶴見川水系
鎮守:野津田神社
自然度:4/5 景観:5/5 危険度:1/5
宅地化:3/5 荒地:0/5 農地:1/5
水田:なし 耕地:あり 公園化:ほぼ全域
消失危険度:0/5
一般に薬師池公園として親しまれている町田市野津田の当地は、
鶴見川水系に位置する谷戸地であり、
薬師池公園自体がその谷戸を再利用して作られていることはあまり有名ではない。
そもそもこの辺りは字暖沢といい、鎌倉街道沿いに走る長細い谷戸であった。
また先端は二分岐していたようだが、現在はその片方が公園となっていて、
鎌倉街道反対側の町田リス園の方に伸びていた谷戸は
地形が変わってほぼ消滅したと考えて良いだろう。
旧福王寺園地として名勝地に指定されている薬師池公園は
宅地化、幹線道路と現代の住区として発展する場所にあって
都会のオアシスとして広く親しまれており、
四季折々の花々や、様々な野鳥を追って訪れる人も多い。
初めの写真は薬師池の写真であるが、この池自体そもそもは
福王寺溜井と呼ばれる、谷戸の溜め池であった。
度々土砂で埋まってしまい、何度か掘り返して現在のようになったと伝えられているそうだが、
その池の奥へ歩みを進めると、綺麗に管理された雑木林が
さながら里山の景観を感じさせ、菖蒲などが植えられた場所は谷戸田を再利用しているから、
一歩踏み入れれば当に谷戸の雰囲気がそのまま楽しめる。
町田の字名の資料によると、この字暖沢の項目に、
昔の字名の記録(あるいは通称地名か?)として、
「福王寺谷戸」の名前が確認出来る。
先にも述べたとおり、当谷戸は先端が二分岐していたので、
その片方を「暖沢谷戸」もう一方「福王寺谷戸」と言ったのかは
定かではないが、
この辺りの昔を偲ぶ手がかりの一つである。
当地は有名な公園で有ることに加え、近くには造成によって誕生した
住宅街「薬師台」もあり、生活圏は町田エリアとなるので、
町田駅からのアクセスは良い。
ただし町田駅は路線が混み合っており、最寄りの「薬師台」バス停を経由する
二つの路線は、ターミナルからではなく、小田急町田駅の裏手にある
小さな発着所から出発するので、慣れないと少し難しさがある。
また、鎌倉街道の渋滞等により、遅延も起きやすいので、
時間に余裕を持って散策にのぞまれることがお勧めだ。
薬師池公園の素晴らしい景観だけでなく、
谷戸に思いを馳せながら、公園全体を散策すれば、
ノスタルジックな気持ちが去来して、別の角度から楽しめること請け合いだ。
この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=16&lat=35.58123&lon=139.4473&layers=B0F0FTTTTF
この辺りの地図は以下
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名称:西山中谷戸
自然度:5/5 景観:2/5 危険度:5/5
宅地化:1/5 荒地:4/5 農地:1/5
水田:あり 耕地:あり 公園化:特になし
消失危険度:1/5
町田市には北部丘陵まちづくり構想というものがあるとのことで、
この谷戸はその基本構想に入っている重要な谷戸の一つである。
また都下の谷戸を植生などから細かく評価した東京都の調査でも、
当地はそのベスト5に入るなど、谷戸としての重要度や知名度が高い。
しかし、そういった評価に対して現地は荒廃の極みを尽くしている。
善治ヶ谷戸の下流部から北西に分かれ、先端部は更に二股になっている
非常に大きな谷戸であり、下流部付近には民家や耕作地が確認出来るものの、
中流域より上流はほぼ荒れ地になってしまっており、
特に谷頭部は写真のように完全に荒れきってしまっている。
谷戸は人の手が入って維持されるものであり、
耕作放棄や土地離れなどが問題化する中にあって、
当地の景観は当にそれを示していると言えるだろう。
荒廃する里山、谷戸にあって自然保護や農業活動を主とする
各種団体が活動しているのを良く目にするが、
例えば市街化地域指定地区の谷戸では、
その土地を維持するのに宅地並みの税金がかかってくるなど、
地権者の負担は著しいものがあることを忘れてはいけない。
当地もかっての景観を懐かしみ、荒廃を嘆くのは簡単なことだろうが、
その中には様々な苦労が混ざり合っていることを考えると、
非常に複雑な気分になる。
当地へは善治ヶ谷戸からの分岐部から入るのが普通だろうが、
山中谷戸方面からの尾根道を利用して谷頭部側に入ることも出来る。
しかしながら、ご覧の通りの状況で冬場に行っても藪の濃さは尋常ではないので、
夏場は近づくこともままならないだろうし、
ヘビ、ハチ、その他の危険どころか、無理すれば遭難する事もあり得るため、
基本的に上流部に踏み入るのは遠慮すべきである。
地権者を含めて、多くの人が満足を共有出来る抜本的なアイディアを欲する、
悩み多き谷戸である。
町田市の北部丘陵については以下のリンクを参照のこと
http://www.city.machida.tokyo.jp/kanko/shi/hokubukyuryo.html
この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=17&lat=35.6034&lon=139.40416&layers=B0F0FTTTTF
この辺りの地図は以下
住所:東京都町田市下小山田町字西山中谷、同上小山田町
所属:多摩丘陵、善治ヶ谷戸支谷
河川:西山中谷戸川
水系:鶴見川水系、善治ヶ谷川支流
鎮守:小山田神社
所属:多摩丘陵、善治ヶ谷戸支谷
河川:西山中谷戸川
水系:鶴見川水系、善治ヶ谷川支流
鎮守:小山田神社
自然度:5/5 景観:2/5 危険度:5/5
宅地化:1/5 荒地:4/5 農地:1/5
水田:あり 耕地:あり 公園化:特になし
消失危険度:1/5
町田市には北部丘陵まちづくり構想というものがあるとのことで、
この谷戸はその基本構想に入っている重要な谷戸の一つである。
また都下の谷戸を植生などから細かく評価した東京都の調査でも、
当地はそのベスト5に入るなど、谷戸としての重要度や知名度が高い。
しかし、そういった評価に対して現地は荒廃の極みを尽くしている。
善治ヶ谷戸の下流部から北西に分かれ、先端部は更に二股になっている
非常に大きな谷戸であり、下流部付近には民家や耕作地が確認出来るものの、
中流域より上流はほぼ荒れ地になってしまっており、
特に谷頭部は写真のように完全に荒れきってしまっている。
谷戸は人の手が入って維持されるものであり、
耕作放棄や土地離れなどが問題化する中にあって、
当地の景観は当にそれを示していると言えるだろう。
荒廃する里山、谷戸にあって自然保護や農業活動を主とする
各種団体が活動しているのを良く目にするが、
例えば市街化地域指定地区の谷戸では、
その土地を維持するのに宅地並みの税金がかかってくるなど、
地権者の負担は著しいものがあることを忘れてはいけない。
当地もかっての景観を懐かしみ、荒廃を嘆くのは簡単なことだろうが、
その中には様々な苦労が混ざり合っていることを考えると、
非常に複雑な気分になる。
当地へは善治ヶ谷戸からの分岐部から入るのが普通だろうが、
山中谷戸方面からの尾根道を利用して谷頭部側に入ることも出来る。
しかしながら、ご覧の通りの状況で冬場に行っても藪の濃さは尋常ではないので、
夏場は近づくこともままならないだろうし、
ヘビ、ハチ、その他の危険どころか、無理すれば遭難する事もあり得るため、
基本的に上流部に踏み入るのは遠慮すべきである。
地権者を含めて、多くの人が満足を共有出来る抜本的なアイディアを欲する、
悩み多き谷戸である。
町田市の北部丘陵については以下のリンクを参照のこと
http://www.city.machida.tokyo.jp/kanko/shi/hokubukyuryo.html
この辺りの昔の地形図は以下のリンクから
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=17&lat=35.6034&lon=139.40416&layers=B0F0FTTTTF
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